「人の優しさ」とはなにか?Amazon欲しい物リストやブログ運営から感じる人の優しさを考えた。
こんにちは!zaki@neoneet_zakiです。
Amazon欲しい物リストからまた届きました!
赤ちゃん用オムツ(M)サイズです!
本当にありがとうございます!
育児用品はめちゃくちゃ助かります。
宜しければTwitterにDMを頂けると助かります。
おかげさまで、第二子は平均より1.5倍程度のスピードで体重が増加しております。(笑)
欲しい物リストが届くと最近思う事
何よりね・・・
めちゃくちゃ在り難いけど申し訳ない!!
もうね!
これは性分だからどうしようもないのだけれどさ
「自分で公開しておきながら何言ってんの?」
って思うだろうけどさ。
どんな奴かもわからない私に何かをプレゼントしてくれるんだからね!
ブログ、もしくはTwitterでぼそぼそ承認欲求満たしてるだけの私に自腹で何かをくれるんだから・・・
ほんっとに!ありがとうございます!
ブログを始めてから「優しさ」を実感できる事が多すぎる
このブログを始めて3ヶ月半。
始める前と大きく変わったのは人の優しさを実感する量が桁違いに増えたこと。
こうやってプレゼントを送ってくれる方・・・
陰ながらアドバイスをしてくれる方・・・
Twitterを通して心配してくれる方・・・
ブログ書いててこんなにも「人の優しさ」を実感できることになるとは思いませんでしたよ。
どれだけ辛辣なコメントや、人格を否定されるような事を言われても、こういう優しさを一度頂けるだけで、全て吹き飛んでしまいます。
それくらい「優しさ」ってパワーがあるんだなって感じます。
ふと感じた「優しさ」の定義
こうやって「優しさ」を感じている時にふと思った「優しさとは何なのか?」という疑問。
優しさについて書いてあるサイトを見ると、こんなことが書かれていました。
真の優しさとはなにか?
優しさとは、人に「こう思われたい」と努力をするものではないのです。「優しい人になりたい」と思うことは、とても素晴らしいことですが、その裏には「他人にこう思われたい」という想いが隠されてはいないでしょうか?
本当の優しさの意味とは、「人からこう思われたい」と、何の計算や努力をせずに、自然に周囲の空気を穏やかにできる人ではないでしょうか。
例えば、親切の押し売りをする人がいます。他人が求めていないのに、手を差し延べたり声を掛けたりすることです。これはある意味、他人からしてみれば「お節介」というものです。
自分がターゲットにした人が、何となく危なっかしいなどの理由から、つい手を差し延べたくなる性格の人。
これでは、相手の気持ちを考えずに、自分本位で行動をしてしまう自己満足です。 よく言えば、情に厚い人かもしれません。悪くいえば「お節介な人」や「親切の押し売り」です。
これは、自分がつい手を差し延べたくなる性格を抑え切れず、自分が良かれとして取った行動も、相手にとってはただの迷惑で、後から後悔したことがある・・・こんな経験がある人もいるのではないでしょうか?引用 - https://welq.jp/4115
なるほど。
これを見ると私は頻繁にお節介をしているような気もします。
ですが、自分なりに「相手が助けを求めているのかどうか?」を考えて判断はしているつもりです。
もちろん所詮は「つもり」なので、今までよかれと思ってやったことが相手にとっては「お節介」になっていることもあるでしょうね。
これを見て私が感じたこと
この記事を見て私が感じたのは、見返りを求めない優しさを持てるレベルまでまだ、達していないな・・・ということです。
私はこのブログを始めてまだ3ヶ月半程度ですが、かなり多くの「優しさ」を頂きました。
その優しさの全てが、私には見返りなど求めているようには感じませんでした。
ただこれは私が感じたことなので、真意のほどはわかりません。
それでも荒んだ私の心には、彼ら、彼女達の「優しさ」に「見返りを求める」という感情が入っているようには感じません。
そういった方々の人間関係を見ると、やはり好意を持たれている方が多いですし、話したり、絡んだりすると癒されるんですよね。
おそらく彼ら、彼女達は無意識に人を癒しているのです。
そういう人間に私もなりたいです。
過去に大きく傷ついた事がある人は、人に優しくできるという意見
同じサイトにこんなことも書かれていました。
過去に自分が傷ついた経験のある人は、人に対して優しいことが非常に多いといえます。というのも、彼らは過去の体験でしっかりと自分が傷つくことの辛さを味わっているので、そのような気持ちになっている人の気持ちを深く理解できるのです。 また、こういった人達は過去に傷ついた状態から復活することができた人でもあるので、そのような傷ついた人側の立場になって、その人達に対して適切な援助や心配りをすることが非常に上手なのです。 正に経験によって得られた、深い優しさと言えるでしょう。 引用 - https://welq.jp/4115
確かに、これは真実だと感じます。
私も過去、心に深い傷を負ったことはあります。
ですが、優しい人がこの経験を持っている人に多いか?と言われると私の意見としては「どちらとも言えないな」というのが本音です。
他人の痛みがわかる人は「優しい人」か「厳しい人」である。
これは完全に私の経験上の意見です。
「過去に深い傷を負った人」
その経験から「人の痛みがわかる」と言いますが、その経験があったがために他人に攻撃的になる人も少なからずいます。
「自分はこんな目にあったのになぜお前は!」
「そのくらい大したことない、俺は(私は)こんな事があったけど乗り越えた。」
などなど様々な結論に到達する人がいるはずです。
そういった結論に達する人達も勿論間違ってはいないと感じます。
経験して考えて、こうあるべきだと感じたのですからね。
ただ私はできる限り、「他人の痛みがわかるからこそ優しい人になりたい」と思っています。
ただ優しくすることだけが、「優しさ」ではない
この意見は誰でも「そりゃそうだろ」と思われる事かと思います。
時には厳しいことを言うことも「優しさ」の一つです。
間違っていることは間違っている。
それをはっきり言える厳しさも、優しさですよね。
ただ、人に厳しい一面を見せた時、相手がそれを「優しさ」として受け取ってくれるか?
ここが難しいのです。
厳しくても優しい人間になりたい
厳しさを「優しさ」として感じ取ってもらえる人間になるためには、その人が人間として魅力があるかどうかだと感じます。
積み上げてきた実績、今までの経験、普段からの人となり。
様々な要素から人間の魅力というものは蓄積します。
そして人はその人と触れ合う時に、無意識に惹かれるものがあったり、共感出来たり、尊敬できると突然その人に魅力を感じます。
こうやってブログなどで、魅力が伝わってくる人は物凄い魅力を持っているんだと思います。
会ったこともない、声も聞いたことがない、顔も知らなければ、もしかしたら年齢だってわからない。
わかるのはその人が書いたという事実だけ。
それでも何か惹かれるものがある。
そんな人間に私はなりたいのです。
最後に
いい加減、構成とか考えて記事書かないとめちゃくちゃだなあ・・・
思い付きで書いているので、ほんっとにひどい文章ですが、伝えたいことは書けたので満足です。
「優しさ」について深く考えるいい機会になったし、ブログやってると本当に毎日充実するなあ!
最後まで読んでくれてありがとうございました。
そんじゃあ
おわり!!
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